ユキと私の事件簿

ユキと遭遇した事件簿を記憶を頼りに紐解いてみると。

当初、年代順にと思いましたが、結局書き易いものから
書いてゆくことにしました。初版に写真は付けませんが、
できるだけ当時のユキの写真を後で探して、追加します。

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予告タイトルも含め、当面以下のように考えています。

1.チェイス!大追跡!
2.葡萄畑に犬がいる!
3.ワゴン車の中はボロボロ
4.絶叫響き続ける車内
5.介護の日々、早い桜
6............

順番どおりに書けるとは限りません。果たしてどうなるやら。

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1.チェイス!大追跡!
  ユキとラッキー、二頭の白い中型犬が喧嘩となり、
  夕暮れの街中を、なんと全力疾走のドッグレース!!!
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ユキが4歳になった頃、たぶん季節は冬だったと思うのだが、
(不思議と季節感は残っていない)
ある休日の夕方、いつものように散歩に出たときの話である。
いつも通るコースの一つを行き、やがて都の所有する空き地に出たときのことだ。
(その場所も、いまでは二年ほど前に新しい都営住宅が建ってしまった)
いつものように、その空き地にユキを連れて入ると、
なすがままに散策させていたのだったが、
別の方角から、ちょうどユキと同じくらいの、しかも白の紀州か、
その雑種と思しき犬が、
中年の男性と子供(低学年の女の子だったと思う)に連れられて、やってきた。

比較的、距離もあったし、気にとめることもなく、ユキの地面を嗅いで行く様子を、
所在なげに見ていたときに、その事件は起こった。
記憶では、確か「あっ!」というような叫び声が聞こえたので、その方角を見ると、
その白い犬が、ノーリードで、こちらをめがけて駆け寄ってくるところだった。

一瞬、身体がこわばったが、大人しい犬であることを祈るしかなかった。
けれども、その期待は見事に裏切られた。。。
その犬は唸りながら駆け寄って、そのままユキに襲い掛かってしまった。
二、三秒、ユキのリードを引き寄せながら、瞬時に考えたものだ。
「このまま自由に動けなければ、やられてしまうかもしれない」
「それならば、自由に応戦させてやろう」

実は、こう考えた理由にも、伏線はあったのである。
ユキを連れて初めて、長瀞峡谷に出かけたとき、ユキは川原近くで、
放たれたままの甲斐犬に挑まれたことが、あった。
そのとき、ユキはリードをつけたまま応戦し、
初めての喧嘩で動転する私を尻目に、よく善戦し、
相手の飼い主が来るまでを凌いだばかりではなく、最後は優勢でさえあった。
引き分けて相手も遠ざかったあと、ユキを誉めて言ったものだ。
「おまえは結構強いんだなぁ」

そのときの記憶が瞬時に蘇ったものか、ともかく私は、ユキを自由に戦わせよう、
そう思って、リードを放したのである。
ところが何を思ったか、こともあろうに、ユキはそのリードを引きずったまま突然、
空き地から道路に飛び出すと、そのまま脱兎のごとく闘争を開始してしまった。
当然、相手の犬(ラッキーと言う名の雄で2歳だったそうだ)も、
同様に追走を開始する。(相手は首輪だけで、リードをつけてない)

予想外の展開に慌てて道路に飛び出したときは、もうすでに、ユキとラッキーは、
百メートル以上?はるか彼方の十字路を越え、駆け去って行くところだった。
その遠ざかる足の速さ、みるみる小さくなって行く二頭の白い犬の姿は、
一瞬、我を忘れるほど、すばらしく勇壮に見えたものだ。

けれども、そんなことを言っている場合ではない。
私は、ともかく相手の飼い主には目もくれず、二頭の犬を追って全力で走り始めた。
このときすでに、遠くから車のブレーキの軋む音が聞こえてくる。
無事でいてくれ、と念じながら走っていくと、
小型犬を抱き上げた婦人が一人、おびえて立ち尽くしている。
二頭の中型犬がドッグレースさながらに突進してきたのだ。
さぞ恐かったことだろうが、私とて相手を気遣う余裕など、あろうはずもない。

「犬、どっちへ行きましたか?」そうきくと、
「一頭がひかれたみたいです」
「ええっ!!」と、叫んで、あわてて、
その先の十字路に緊急停車したワゴン車めがけて駆け寄る私。

折からの夕暮れ時、車のライトが眩しくて路上がよく見えない。
その光の中に一頭だけ犬が立ち尽くしている。
ユキか?相手か?どちらだ! 
と駆け寄る私に、一歩踏み出して来たのは、ユキではない相手の犬だった。

そのとき、本当に頭の中が真っ白になった。
「こいつっ!」と、その犬にコブシを振り上げたものの、
すぐに車に駆け寄って、今度は運転手にきく。。。
「もう一頭、もう一頭の犬は?」
すると運転手の答えは意外なものだった。
「車の脇をすり抜けて、あっちに走っていったよ」
ほっとするもつかの間、遠くの大通りからは、再び急ブレーキの音が響いてくる。
お礼を言うのも忘れ、再び私は走り始めた。すでに300mは全力で追走している。
さすがに足もガクガクだった。

次の十字路を右に曲がると、そこでも1台の乗用車が路肩に止まって、
運転していた女性が、首を伸ばして前方を凝視している。
ここでもユキは走りながら、急ブレーキをかけ緊急停車させたようだ。
「白い犬はどっちに行きましたか?」
その人は指差して言う。「その駐車場を横切って、大通りに走っていきました」

私はまたしても走り出す。ちょうど、あと100mほどで、我が家に戻るコースだ。
幸い大通りには(はねられたような)犬の姿はなかった。
交通量がたまたま少なかったことも幸いしていたのである。
そして、もしや、との思いが胸をよぎったのは、そのときである。
「ユキは自分の小屋に逃げ帰るつもりではないか?」

かすかな期待感をいだいて、最後の大通りを走り抜けると、
次の交差点を左折したところに、バスの停留所がある。
そこでもバスを待つ女性が一人、前方を見ていた。
「犬が通りましたか?」
「そこの角を曲がっていったみたいだけれど」
そう聞いて、その横丁に出て見渡すが、ユキの姿はない。。。
けれど、その少し先には、ユキの犬小屋を置いていた駐車場もあるのだ。
逃走開始から、はや400m以上を走破している。息をきらせながら、
最後の希望にかけて、駐車場に駆け寄り覗き込んだ私。すると、、、

いた。ユキは戻っていた。自分のテリトリーの中に。
駐車場のフェンスが少し開いていたのは、まことに幸いだった。
(この事件以降、私は散歩中、いつもフェンスを少し開けておくようになった)
ユキはそこからすべり込んで、1mほど奥まった位置にいて、
座った姿勢で、ゼイゼイと喘いでいた。
通りを見据えた目も吊り上ったまま血走っている。

ともかく、ユキは追走するラッキーを車の急停止で振り切り、
400m以上離れた自宅まで、ちゃんと戻っていたのだ。
車との接触も多少はあったかもしれないが、
むしろ急停車した車のタイヤかフェンスをこするようにして、
うまくかわしたのではないだろうか?
ただ、小型犬を抱いた婦人には、それが「ひかれた」と見えるほど、
きわどいものだったことも容易に想像できる。
そして、このときほど私がユキを強く抱きしめたことはなかった。
それから、全身をくまなく調べた。
どこにも異常のないことを確認し、ようやく、安堵のため息をついたものだ。

私もクタクタだったが、ともかくユキをいつもの小屋に繋留し、
先ほどの現場にとって返すことにした。
早足で歩いていくと、先ほどの十字路から少し来たところで、
相手の親子がその犬を引いて、やってくるのが見えた。
私が近寄って行くと、
「どうなさいましたか?」と聞いてくる。
「自宅に何とか戻っていたけれど、気をつけてくれなくては困る」と私。
ところが、相手の男性曰く、
「なんで放しちゃったんですか?」だと。。
「そういう問題じゃないでしょう。そもそも、そっちが先に逃げられて
襲って来たんだから」と、私も、さすがに半切れ状態で言い返す。
だが、それに対しては、
「そうですね、すみませんでした」と、意外と素直な相手だった。

それで、ようやく相手の犬を落ち着いて見るゆとりが出来た。
遠目には大きさと白いところがユキそっくりであったが、
こうして近場で見ると、明らかに顔つきはユキとは違っている。
2歳の雄犬でラッキーという名であることは、そのときの会話でわかった。
「ラッキー(おまえのおかげで大変だったぞ)」
そう、呼びかけると、ウゥっと唸るラッキー。
そのせいで、ポカンと頭をひとつ叩かれていたけれども。。。(笑)

その後も二三年は時々、散歩の途中などで見かけることのあったラッキーだが、
引越しでもしたのか、それ以降は何時の間にか見かけなくなった。
ユキより2歳ほど若かったはずであるから、
今ごろ、まだどこかで元気でいるかもしれないと、
ふと懐かしく思い出すこともある相手だ。

いずれにしても、この事件でユキにもちゃんと帰巣本能があることがわかった。
そして、我が家を、自分の帰る場所だと思い、よりどころとしていたことも、
証明されたのである。
この事件をきっかけに、また一つ命を拾ったような気持ちになった私は、
3、4台の車に急ブレーキをかけさせながらも、無事走りきったユキの強運を思い、
ますますユキを溺愛するようになってしまった。(笑)
「よくぞ無事で戻った!」と抱きしめたときに感じた、
激しく打つユキの心臓の鼓動、、、
そのときの感触の記憶が、いまでも私の目頭を熱くさせる。。。

           [2005年09月20日記]


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2.葡萄畑に犬がいる!
  出会いの日、薄曇りの朝、私は2階の窓から、ユキの姿を見ていた。
  ユキはまだ私の存在を知らず、一日ずっと葡萄畑に横たわっていた。
  やがて夕闇せまる葡萄畑で、私たちは初めて出会うことになる。
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ユキと初めて出会った春、それはこの執筆時点から15年を遡る。
ちょうど1990年、5月3日のたぶん10時頃だったと思う。
白い犬が、向かいの葡萄畑に横たわっているのを2階の窓から見た。
家人によれば、ここ数日ほど、時折見かけていたと言うが、
私が知ったのは、そのときが初めてだった。

ただそのときは、それだけのことで、そのまま忘れてしまった。
ところが夕暮れ時になって、窓をしめようと、朝と同じ場所を見ると、
朝と殆ど変わらない場所に、まだその白い犬は横たわっていた。

死んでしまったのだろうか?弱って動けないのだろうか?
急に気になった私は、家を出て、金網の隙間から、
その葡萄畑に入り、そっと近づいていった。
漠然とではあるが「ともかく保護してやらなくては」の思いで、
暴れたときのために、手には長めのロープを輪投げのように作って、
10メートルほど歩いて、その犬の背後に近づいた。

3メートルほどの距離から、そっと覗き込むと、
その白い犬は、こちらに背中を向けて、じっと横たわっている。
顔は見えないが、かすかに息づかいで、腹の付近が動いている。
寝ているのだろうか、よほど弱っているのだろうか、
まだ私の気配には気づかない。犬の嗅覚や聴覚をもってすれば
普通なら、ありえないことだと思った。

意を決した私は、それでも万一に備えて、(その判断は正しかったのだが)
そっと、その犬の頭の方から、輪にしたロープを投げかけるようにした。
その瞬間、その犬はガバッと跳ね起き、低い姿勢で、数メートルほど
離れた道との境界の生垣まで逃走した。

けれども、そっと投げたロープが、ちょうど腰のあたりに絡まって、
その端を持つ私との間で、まさに綱引きのような状態で止まった。
ロープに気づいて、逃げられないと気づいたその犬は、
「ぎゃおん」と悲しそうに一度だけ絶叫し、生垣の奥に身を潜めようとした。
けれども私がロープを引くので逃げられないと悟ると、
今度は、必死の形相で、「がるる」と犬歯を剥き出しして、
私を威嚇しようとした。精一杯の抵抗である。

ロープを挟んで、私との距離は2メートル弱ほど、
ポケットからパンを出して、差し出しては見るものの、
まったくそれには見向きもせず、ずっと低く唸りながら、
鼻にしわをよせて、相変わらず犬歯を剥き出しにしている。
(こういう時の犬は、たとえ弱っていようとも恐い)

迂闊には近寄れないので、睨み合いを続け、30分ほどは経過しただろうか。
このままでは、真っ暗になってしまうので、私としても何とかしたかったが、
何度、接近を試みても、唸り返されるだけで、埒があかない。
さすがに、我慢も限度と、とうとうこぶしを握り、
(これほど言ってもわからないのか、との思いを込めて)
片手を振り上げて「こいつ!」と怒鳴ると、
何としたことか、虚勢の糸がプッツリと切れたものか、
急に一転して、その犬は耳を伏せて、恭順の姿勢を示した。
(この変わり身の速さは見事だったと今でも懐かしく思い出す)

そのあとは、そっと頭もなでさせたし、
右足が骨折しているらしいこともわかったので、
そっと抱き上げると、おとなしく抱かれていた。
最初、葡萄畑に入った場所は、わずかな金網の隙間からだったので、
そこからは、犬を抱き上げて戻ることができず、
結局、50メートルほどを迂回して、出入り口を通り、
わが家まで、戻るには100メートル近くを歩かなければならなかったが、
その間もおとなしく抱かれていた。

私としては、初対面で、しかも30分近く、牙を見せて唸っていた犬を
両腕で抱くので、その犬の顔が、ちょうど自分の喉下に来る。
いったんおとなしくなったとはいえ、いつ喉笛をガブリとやられはしないかと
内心はびくびくもので、そっと歩いた。

結局、自宅の玄関にいったん入れ、水やパンを再度差し出してみたが、
受け付ける様子もなく、年齢も不明だが、かなり衰弱しており、
足も骨折しているようなので、ともかく、近所の獣医に見せることとして、
今度は400メートルほど離れた獣医師のところまで、
再び抱きかかえて運び込んだ。(さすがに腕が疲れた)

結果的に、その犬はまだ7−8ヶ月齢のオスであって、
右足の骨折は、そこそこ時間が経過しているので、自力で癒着しかけており
手術の必要はないだろうということが、あとでわかった。
いずれにしても、運び込んだときの話では、
かなり衰弱はしているので、しばらく入院させて点滴と言う事になった。

これが、1990年の5月3日、ユキと私が出会ったときの顛末である。
その四日後の5月7日、退院と同時に、わが家に迎えることとなるわけだが、
それ以降のことは、また折に触れて書きたいと思う。
ともあれ、この日から、わが家の紀州の系譜は始まっている。。。

                 [2004年05月03日記⇒2005年09月24日補筆]